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地域密着!トップインタビュー/第39回高見神社 禰宜 波多野 光孝様

更新日:2019年06月01日
第39回 地域密着!トップインタビュー
昭和8年、躍動する八幡のまちに氏神様として遷座されたのが髙見神社でした。
今回は髙見神社の禰宜であり、高見町自治会、町づくり協議会でも精力的に活動されている波多野 光隆 禰宜にお話を伺いました。
高見町に鎮座する「ものづくりの神様」
地域を結ぶ、縦、横、斜めの関係
■「ものづくりの神様」といわれる御由緒についてお聞かせください。
波多野禰宜:髙見神社は、かつて洞海湾のそばにあった高見山に創建されたのが始まりとされています。
その際、神功皇后様がお祀りした御祭神に造化三神が含まれることが「ものづくりの神様」の御由緒です。
(※造化三神…天之御中主神、髙御産巣日神、神産巣日神)
また近代になって、官営八幡製鐵所と共に変遷を経た側面もあります。
製鐵所の建設にあたって、高見山から豊山八幡神社(現・八幡東区春の町)の宮前へ遷座され、その後、製鐵所の民営化を機に昭和8年(1933)に現在の場所へ造営されました。
製鐵所の安全を見守る御神様として、また、当時の高見町は製鐵所の社宅が立ち並んでいましたので、地域の氏神様としても迎えられました。
■髙見神社といえば、御本殿をはじめ建物の荘厳さもよく知られるところです。
波多野禰宜:まだ神社を国が管理していた時代ですから、髙見神社の創建も国が指揮をとり、そこに製鐵所が深く関わる一大プロジェクトだったのだと思います。
設計は明治神宮(東京)や近江神宮(滋賀県)を手掛けた内務省の角南隆(すなみたかし)技師が行いました。
角南技師は同じ時期に大分の宇佐神宮の修復にも携わっていたそうで、製鐵所が所有する公餘倶楽部(現・高見倶楽部)に滞在して宇佐に通いながら、髙見神社の創建を行ったと伝え聞いています。
大変な忙しさが想像できますが、髙見神社へかける想いも情熱あふれるものでした。
「自分の思い通りに設計したい」と建材に樹齢千年を超える台湾ヒノキを取り寄せたり、設計も独特。
御本殿の手前に拝殿、その左右に祭舎を配し、正面から見ると石段の上に建物がコの字型に迎える様は風雅さから「劇場型」といわれることも。
着工から完成まで約10年の歳月を要したといわれています。
製鐵所の安全祈願の日には、所長以下1,000人以上の職員の皆さんが境内いっぱいに整列されたそうで、さぞ壮観な光景だっただろうと想像します。
■現在の場所で創建されて87年目を迎えます。時代の移り変わりの中で神社の役割はどのように変化していますか?
波多野禰宜:かつて神社は人の営みの中心にあって、家族の祝い事や季節行事のたびに人が集まって来る、町のシンボル的な役割を果たしていたと思います。
それが大家族から核家族へ、一戸建てから集合住宅へ、日本人の暮らし方や価値観が変わり、最近ではより個人を大事にする時代になりました。
それでも「神社が町と共に在ることは変わらない」と私は思っています。しかし、共に在るためには受け身なだけでなく、町の未来を一緒に描いていく必要がある。
地域によって違いはあると思いますが、神社がどれだけ町に参画していけるか、それが問われる時代になっていると感じています。
■波多野禰宜は高見町づくり協議会、高見自治会に参加されていますが、活動内容についてお聞かせください。
波多野禰宜:板櫃川(いたびつがわ)の草刈りや清掃を行う「グリーンリバー活動」、万一に備えた防災マニュアルの作成、また役所と共同で続けているのが「さくらプロジェクト」です。
高見町には桜の木がたくさんありますが、これらは50~60年前、製鐵所の社宅時代に植えられたもので一部は寿命を迎え始めています。
プロジェクトは先人から受け継いだ高見町の春の風景を次の世代へ繋ごうというもので、「千本桜のまち」を目指しています。
こうした地域活動は本来の目的に加えて、住民同士が顔を合わせること、子どもの見守りという意味でも大切だと考えています。
高見町には通学路で自主的に旗持ちをしてくださる方がいますが、子どもたちは「〇〇さん!」とすぐに顔と名前を覚えますし、するとやっぱり可愛くて、その方も子どもたちに会うのが楽しみになりますよね。
今はいろんなことが難しい時代になっていますが、親子という縦の関係、世代という横の関係、そこに加えて地域における「斜めの関係」があると豊かだと思うんです。
■地域に出て活動する一方で、神社へ足を運んでもらうきっかけづくりもユニークですよね。波多野禰宜が発案された「高見芸術祭」とはどんな催しですか?
波多野禰宜:秋祭りの初日、秋季大祭の夜に「高見芸術祭」と銘打って境内でステージを主催しているんです。
内容は毎年変わりますが共通するのは和の文化。例えば、去年は玉川奈々福さんをお招きして浪曲を披露いただきましたし、日本舞踊や雅楽、噺家さんに落語を聞かせてもらった年もありました。
時間帯が夜ですから境内の杜をライトアップして、なかなかいい雰囲気なんですよ。
秋祭りの2日目は日中が伝統神事。子どもみこしには地域の小学生が毎年100人くらい参加してくれます。
夜は境内ステージですが、2日目は九州歯科大学のジャズサークル「BLUE NOTES(ブルーノーツ)」のライブが恒例になっています。
約30人の大所帯バンドですからサウンドに迫力がある反面、最初は近隣の反応が心配でしたが、皆さん思いのほか楽しんでくださって。有難いことです。
御神様に向かい合い、拝殿で手を合わせて目をつぶったときに見えるもの。
それを感じていただくのが神社という場所です。
ですから、やみくもに宣伝するのは違いますが、何かをきっかけに存在を知って、興味を持っていただけたら嬉しいですね。
■ご参拝の方へ向けて、どんな工夫をされていますか?
波多野禰宜:最近人気があるのはハレの日の写真撮影プランです。
お宮参り、七五三、成人式、結婚式でご利用いただけるもので、例えば七五三なら、衣装・着付け・お祓い・写真・千歳飴がセットになっています。
着付けも撮影もプロが行いますが、「場所代はかからないし余計なお金をいただくのはやめよう」と皆さんご商売が成り立つ程度の金額で引き受けていただいて。おかげさまで好評です。
だんだん和装の着付けができる職人さんも、和装姿を美しく撮影できるカメラマンも少なくなっていますが、やはり人生の節目にはプロが丹精込めて織った本物の着物を、綺麗に着付けてもらって、素敵な記録を残してほしくて。
ハレの日を迎えたご本人、ご家族の姿を拝見していると皆さんとてもいいお顔をされているんですね。
そういうとき、人生の節目に関わることができる神社の仕事を改めて「良い仕事だなぁ…」と思います。
■では最後に、波多野禰宜が大切にされている言葉を一つ教えてください。
波多野禰宜:「汗をかいて、知恵を出せ」です。若い頃、福岡の筥崎宮で修業させていただいたんですが、入った初日に権宮司さんからこう言われました。
「机の上で考えるだけではなくて、汗をかいて自らが動くことで出てくる知恵もある。君はそれを大事にしなさい」。
たしかにその通りで、何かをやろうと思ったときに自分で動くことで、ものごとも動き始めるような気がします。
もちろん失敗もしますが、失敗に気づけばそれが一つ前進ですし、修正しながら進んでまた修正して進んで、地道に一歩ずつ。
まちづくりも一朝一夕にはいきませんが、「自分たちで町の価値を高めるような活動をしていきたいね」といつも皆で話しています。
この町で育った子供たちがたとえ都会に出ても自慢できるような、年を取って帰って来たくなるような、ふるさと・高見町でありたいと思います。
■波多野禰宜様、貴重なお話をありがとうございました!
【編集後記】
高見山に創始し、昭和8年に現在の場所へ創建された髙見神社。御本殿は丘の中腹に御鎮座しており、参道の石段を上るそばから凛とした空気に包まれます。角南隆技師が手掛けた荘厳な佇まいは映画やドラマのロケ地に選ばれることも多く、台湾ドラマ『あすなろ白書』や、タイのロックバンド(!)・CLASHの楽曲『LONELY』のショートフィルムなど、最近では海外からの撮影オファーが続いているそうです。
今回のインタビューでは、「ものづくりの神様」の由縁に始まり、波多野禰宜が町の一員として取り組む地域づくりについて伺いました。地域一丸の基盤には自治会の存在があり、戸建て・マンションによらず、住民の自治会入会率が実質100%なのだとか。現在は防災マニュアルの作成を進めているそうで、災害時の対策について自治会が各マンションの管理組合にはたらきかけを行っているという話にも驚かされました。
「休日は街に出ます。どんな人がいて、どういうものが流行っていて、どんなものが売れているのかを見てまわるのが好き」という波多野禰宜。実は境内でのジャズライブも、街のお店で歯科大バンドの部長と隣り合わせたのがご縁だったとか。そのフットワークはまさに「汗をかいて、知恵を出せ」。自分から動き出す大切さを改めて胸に留め置きました。
取材当日は、午後から結婚式が入っていると伺っていたのですが、白無垢姿の花嫁さんはなんと弊社社員のご親族!濱村も社員も目を丸くしてお互いを指差し合っていました(笑)
高見の神様、波多野禰宜、素敵なお話とサプライズをありがとうございました!
取材日:平成31年3月22日(金)
昭和8年、躍動する八幡のまちに氏神様として遷座されたのが髙見神社でした。
今回は髙見神社の禰宜であり、高見町自治会、町づくり協議会でも精力的に活動されている波多野 光隆 禰宜にお話を伺いました。

【高見神社 禰宜 波多野 光隆様】

高見町に鎮座する「ものづくりの神様」
地域を結ぶ、縦、横、斜めの関係

■「ものづくりの神様」といわれる御由緒についてお聞かせください。

波多野禰宜:髙見神社は、かつて洞海湾のそばにあった高見山に創建されたのが始まりとされています。
その際、神功皇后様がお祀りした御祭神に造化三神が含まれることが「ものづくりの神様」の御由緒です。
(※造化三神…天之御中主神、髙御産巣日神、神産巣日神)

また近代になって、官営八幡製鐵所と共に変遷を経た側面もあります。
製鐵所の建設にあたって、高見山から豊山八幡神社(現・八幡東区春の町)の宮前へ遷座され、その後、製鐵所の民営化を機に昭和8年(1933)に現在の場所へ造営されました。
製鐵所の安全を見守る御神様として、また、当時の高見町は製鐵所の社宅が立ち並んでいましたので、地域の氏神様としても迎えられました。

■髙見神社といえば、御本殿をはじめ建物の荘厳さもよく知られるところです。

波多野禰宜:まだ神社を国が管理していた時代ですから、髙見神社の創建も国が指揮をとり、そこに製鐵所が深く関わる一大プロジェクトだったのだと思います。
設計は明治神宮(東京)や近江神宮(滋賀県)を手掛けた内務省の角南隆(すなみたかし)技師が行いました。
角南技師は同じ時期に大分の宇佐神宮の修復にも携わっていたそうで、製鐵所が所有する公餘倶楽部(現・高見倶楽部)に滞在して宇佐に通いながら、髙見神社の創建を行ったと伝え聞いています。

大変な忙しさが想像できますが、髙見神社へかける想いも情熱あふれるものでした。
「自分の思い通りに設計したい」と建材に樹齢千年を超える台湾ヒノキを取り寄せたり、設計も独特。
御本殿の手前に拝殿、その左右に祭舎を配し、正面から見ると石段の上に建物がコの字型に迎える様は風雅さから「劇場型」といわれることも。
着工から完成まで約10年の歳月を要したといわれています。
製鐵所の安全祈願の日には、所長以下1,000人以上の職員の皆さんが境内いっぱいに整列されたそうで、さぞ壮観な光景だっただろうと想像します。

■現在の場所で創建されて87年目を迎えます。時代の移り変わりの中で神社の役割はどのように変化していますか?

波多野禰宜:かつて神社は人の営みの中心にあって、家族の祝い事や季節行事のたびに人が集まって来る、町のシンボル的な役割を果たしていたと思います。
それが大家族から核家族へ、一戸建てから集合住宅へ、日本人の暮らし方や価値観が変わり、最近ではより個人を大事にする時代になりました。
それでも「神社が町と共に在ることは変わらない」と私は思っています。しかし、共に在るためには受け身なだけでなく、町の未来を一緒に描いていく必要がある。
地域によって違いはあると思いますが、神社がどれだけ町に参画していけるか、それが問われる時代になっていると感じています。

■波多野禰宜は高見町づくり協議会、高見自治会に参加されていますが、活動内容についてお聞かせください。

波多野禰宜:板櫃川(いたびつがわ)の草刈りや清掃を行う「グリーンリバー活動」、万一に備えた防災マニュアルの作成、また役所と共同で続けているのが「さくらプロジェクト」です。
高見町には桜の木がたくさんありますが、これらは50~60年前、製鐵所の社宅時代に植えられたもので一部は寿命を迎え始めています。
プロジェクトは先人から受け継いだ高見町の春の風景を次の世代へ繋ごうというもので、「千本桜のまち」を目指しています。

こうした地域活動は本来の目的に加えて、住民同士が顔を合わせること、子どもの見守りという意味でも大切だと考えています。
高見町には通学路で自主的に旗持ちをしてくださる方がいますが、子どもたちは「〇〇さん!」とすぐに顔と名前を覚えますし、するとやっぱり可愛くて、その方も子どもたちに会うのが楽しみになりますよね。
今はいろんなことが難しい時代になっていますが、親子という縦の関係、世代という横の関係、そこに加えて地域における「斜めの関係」があると豊かだと思うんです。

■地域に出て活動する一方で、神社へ足を運んでもらうきっかけづくりもユニークですよね。波多野禰宜が発案された「高見芸術祭」とはどんな催しですか?

波多野禰宜:秋祭りの初日、秋季大祭の夜に「高見芸術祭」と銘打って境内でステージを主催しているんです。
内容は毎年変わりますが共通するのは和の文化。例えば、去年は玉川奈々福さんをお招きして浪曲を披露いただきましたし、日本舞踊や雅楽、噺家さんに落語を聞かせてもらった年もありました。
時間帯が夜ですから境内の杜をライトアップして、なかなかいい雰囲気なんですよ。

秋祭りの2日目は日中が伝統神事。子どもみこしには地域の小学生が毎年100人くらい参加してくれます。
夜は境内ステージですが、2日目は九州歯科大学のジャズサークル「BLUE NOTES(ブルーノーツ)」のライブが恒例になっています。
約30人の大所帯バンドですからサウンドに迫力がある反面、最初は近隣の反応が心配でしたが、皆さん思いのほか楽しんでくださって。有難いことです。

御神様に向かい合い、拝殿で手を合わせて目をつぶったときに見えるもの。
それを感じていただくのが神社という場所です。
ですから、やみくもに宣伝するのは違いますが、何かをきっかけに存在を知って、興味を持っていただけたら嬉しいですね。
■ご参拝の方へ向けて、どんな工夫をされていますか?

波多野禰宜:最近人気があるのはハレの日の写真撮影プランです。
お宮参り、七五三、成人式、結婚式でご利用いただけるもので、例えば七五三なら、衣装・着付け・お祓い・写真・千歳飴がセットになっています。
着付けも撮影もプロが行いますが、「場所代はかからないし余計なお金をいただくのはやめよう」と皆さんご商売が成り立つ程度の金額で引き受けていただいて。おかげさまで好評です。
だんだん和装の着付けができる職人さんも、和装姿を美しく撮影できるカメラマンも少なくなっていますが、やはり人生の節目にはプロが丹精込めて織った本物の着物を、綺麗に着付けてもらって、素敵な記録を残してほしくて。
ハレの日を迎えたご本人、ご家族の姿を拝見していると皆さんとてもいいお顔をされているんですね。
そういうとき、人生の節目に関わることができる神社の仕事を改めて「良い仕事だなぁ…」と思います。

■では最後に、波多野禰宜が大切にされている言葉を一つ教えてください。

波多野禰宜:「汗をかいて、知恵を出せ」です。若い頃、福岡の筥崎宮で修業させていただいたんですが、入った初日に権宮司さんからこう言われました。
「机の上で考えるだけではなくて、汗をかいて自らが動くことで出てくる知恵もある。君はそれを大事にしなさい」。
たしかにその通りで、何かをやろうと思ったときに自分で動くことで、ものごとも動き始めるような気がします。
もちろん失敗もしますが、失敗に気づけばそれが一つ前進ですし、修正しながら進んでまた修正して進んで、地道に一歩ずつ。

まちづくりも一朝一夕にはいきませんが、「自分たちで町の価値を高めるような活動をしていきたいね」といつも皆で話しています。
この町で育った子供たちがたとえ都会に出ても自慢できるような、年を取って帰って来たくなるような、ふるさと・高見町でありたいと思います。

■波多野禰宜様、貴重なお話をありがとうございました!


【編集後記】
高見山に創始し、昭和8年に現在の場所へ創建された髙見神社。御本殿は丘の中腹に御鎮座しており、参道の石段を上るそばから凛とした空気に包まれます。角南隆技師が手掛けた荘厳な佇まいは映画やドラマのロケ地に選ばれることも多く、台湾ドラマ『あすなろ白書』や、タイのロックバンド(!)・CLASHの楽曲『LONELY』のショートフィルムなど、最近では海外からの撮影オファーが続いているそうです。

今回のインタビューでは、「ものづくりの神様」の由縁に始まり、波多野禰宜が町の一員として取り組む地域づくりについて伺いました。地域一丸の基盤には自治会の存在があり、戸建て・マンションによらず、住民の自治会入会率が実質100%なのだとか。現在は防災マニュアルの作成を進めているそうで、災害時の対策について自治会が各マンションの管理組合にはたらきかけを行っているという話にも驚かされました。

「休日は街に出ます。どんな人がいて、どういうものが流行っていて、どんなものが売れているのかを見てまわるのが好き」という波多野禰宜。実は境内でのジャズライブも、街のお店で歯科大バンドの部長と隣り合わせたのがご縁だったとか。そのフットワークはまさに「汗をかいて、知恵を出せ」。自分から動き出す大切さを改めて胸に留め置きました。

取材当日は、午後から結婚式が入っていると伺っていたのですが、白無垢姿の花嫁さんはなんと弊社社員のご親族!濱村も社員も目を丸くしてお互いを指差し合っていました(笑)

高見の神様、波多野禰宜、素敵なお話とサプライズをありがとうございました!


取材日:平成31年3月22日(金)