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第46回 地域密着! トップインタビュー/ 医療法人 新田医院(在宅療養支援診療所)院長 新田 智之様

 在宅医療をご存知でしょうか。病気や高齢で通院が困難な方や自宅での緩和ケアを望む方の医療の選択肢のひとつです。門司区で40年間、地域の健康に寄り添う医療法人新田医院は外来診療に加えてこの在宅医療を市内でも積極的に取り組んでいる医療機関です。在宅医療は家族に迷惑がかかるのでは?自宅だと病院よりも命が短くなるのでは?―在宅医療の今を現院長の新田智之先生に伺いました。

人は生まれる境遇は選べませんが、生き方と逝き方は選べる。
だから「人生会議」を大事にしてほしいのです。

■新田医院は地元・門司で40年間にわたり地域医療に貢献し続けておられます。まずは開業から現在までの経緯を伺えますか。

新田先生:当院は私の父が昭和58年(1983)に開業しました。もとは医師の家系ではなく、栄町銀天街(門司区)に曾祖母が「小菊堂」という甘味処を営んでおり、後に祖父母や叔父も門司駅前で和洋中レストラン「小菊堂」を営んでいました。ご高齢の方に「小菊堂の孫なんですよ」と言うと、「あら、懐かしい!お店によく行ってましたよ」と覚えてくださっている方が結構いらっしゃるんですよ。父は5人兄弟の末っ子で、父と下から二番目の叔父が医師になりました。実は門司での開業を目指していたのは叔父だったそうですが33歳の若さで病気で亡くなりました。「兄に替わって自分が郷里の門司で地域医療をやろうと決めた」と生前の父から開業の経緯を聞いています。

■地域で40年間。日本医療の変遷とともに御院にも変化があったのでしょうか。

新田先生:父が開業した頃は周辺に医療機関が今よりも少なかったため内科・外科をはじめ、整形外科、時間外の緊急外来、手術も行う有床診療所として入院を受け入れていた時期がありました。しかしこの40年で専門診療科クリニックや救急病院が地域に備わり、時代の流れもあって入院ベッドを16年前に廃止し無床診療所になりましたが、〈初期診療の窓口〉という役割は今も変わりません。「体調が悪いけれど、どこで診てもらえば良いか分からない」と迷う時も、まずは我々開業医を受診してもらい治療の判断や相談ができる―それが私たち地域のかかりつけ医の役割だと考えています。

■心強い存在ですよね。新田先生はそうした外来診療に加えて、平成28年(2016)から「在宅医療」にも尽力されています。在宅医療について教えていただけますか?

新田先生:在宅医療とは病気や高齢で通院が困難だったり、住み慣れたところでの療養を希望する患者さんが自宅や施設にいながら受けられる治療やケアのことです。高齢化の著しい門司では通院したくてもできない高齢者が多く、そのような方々から「家へ診察に来て欲しい」との声が多く聞かれたことが在宅診療を本格的に始めたきっかけです。医師や看護師をはじめ、薬剤師、歯科医師、理学療法士、ケアマネジャーなど複数の職種が加わって一つのチームになり、多職種で連携しての訪問でケアにあたります。もちろん臨時の依頼にもチームで対応しています。

■北九州市は高齢化率が高いですし、在宅医療を受けている方も多いのでしょうか?

新田先生:それが違うんです。自宅で亡くなる人の割合をみると全国平均よりずっと低くて、意外にも東京や神奈川など都会の方が在宅看取りの割合が高いんです。九州がいわゆる病院文化であり、「最期は病院」という考えが一般化しているからだと思います。在宅医療の存在自体が知られていなかったり、聞いたことはあっても、自宅では十分な治療が受けられないんじゃないか、苦しいんじゃないか、病院よりも命が短くなるんじゃないか、といった誤解もまだまだ多いですし、何かあったらどうしよう、家族に迷惑をかけたくない、という不安の声が聞かれますね。それをどうにかしたいと考え、最近では色々なところで講演しています。

■「自宅で過ごしたい」と思っても家族に気を遣って言えないこともありそうですね。

それは多々ありますね。なので在宅医療を始める前には当院でご家族と色々な話し合いをします。もちろん本人が来られる場合には参加してもらいます。私が大切にしていることは、開始時には患者さんやご家族の「不安を取る」、療養が始まれば我々の存在で「安心を与える」、終了時すなわちご永眠された際には「納得ができる」の3つです。そして「本人が穏やかであれば家族も穏やかでいられる」ということ。患者さんの苦痛が少なくずっと穏やかであればわざわざ入院する必要がありませんので、長く自宅に居ることが可能です。入院と在宅医療のどちらが優れているという話ではなく、人によって希望は違うんです。だからこそ在宅医療がどういうものかをまずは正しく知って、住み慣れたところで長く、そして最期まで過ごせるという選択肢があることを知ってほしいと思っています。もちろん必要時には入院は大切です。「時々入院、ほぼ在宅」を目指してはいかがでしょうか。

■例えば、日中に家族が不在になる家庭でも在宅医療は受けられるんですか?

新田先生:もちろんです。実際、ご家族も今の世の中はなかなか仕事を休めませんし、最近は独居の方も明らかに増えていますが、いずれも可能です。そしていろんな面でひと昔前とは違います。例えば、介護用ベッドは何十万円もかけて購入しなくても介護保険を利用すれば月2,000円程度でレンタルできますし、ベッドの傍に置くポータブルトイレにも消臭機能やウォシュレット機能が付いたり、快適性はどんどん上がっています。私が使う医療機器でも例えば、超音波検査機はポケットサイズになり、結果もスマホ画面ですぐに見られるんですよ。そして個人的に在宅療養の鍵は医師よりも訪問看護師だと考えています。例えば、がんの終末期の方に医師が週に1回の訪問頻度だとすれば、訪問看護師は毎日でも1日複数回でも訪問に入れるんです。また、お薬は訪問薬剤師が配薬から服用の管理、相談まで応じてくれますし、先にお話ししたように歯科医、介護士、栄養士、理学療法士…と様々な職種が連携し情報の共有と方針の統一を図っています。1人の患者さんに対して10~30人近い専門スタッフがチームになって関わります。在宅医療を受ける方はご家族を含めて皆さん初めての経験ですから、何をどうしていいか分からない、怖いし不安なんです。当然ですよね。ですからまずは話を聞いてみてほしいと思います。病院ならソーシャルワーカーのいる医療連携室、地域ならクリニックや調剤薬局、区役所でも構いません。どこかに問い合わせれば、必ず適切につながります。

■在宅医療のほかに、高齢者や家族が知っておいた方が良いことはありますか?

新田先生:これからはアドバンス・ケア・プランニングを広げていきたいと考えています。厚労省も「人生会議」の愛称で推奨しているのですが、具体的には、受けたい医療や逆に受けたくない医療、人生の最終段階をどう過ごしたいかを元気なうちから我々医療・介護職と一緒に考えて何度も話し合うもので、言わば「医療の終活」です。当院でも外来患者さんから少しずつ始めています。例えば85歳のお誕生日を迎えた方に、おめでとうございます、100歳まであと15年ですね、と言うと、「そこまで長生きしなくていい」とよく言われます。では何歳まで?と尋ねると、「うーん…90歳くらいかな」。では今は口から食べられるけど飲み込みができなくなったらどうしましょう?考えたことはありますか?と突っ込んで尋ねてみると、「そんなことは考えたことない」、ではこれから一緒に考えてみてもよいですね―そんな会話をご家族も交えて繰り返し重ねていきます。すぐに結論を出すことが目的でなく、何度も話し合って価値観を共有しておくことで、例え将来本人の意思がわからなくなっても周りの方で応用が効くのです。

■問いかけられなければ考えないことですが「人生の終わり方」は大事ですよね。

新田先生:そうなんです。人は生まれる境遇は自分で選べませんよね。でも、人生の最期までどう過ごすかの「生き方」、そして「逝き方」は自分で選べるんです。だからぜひ『人生会議』を大事にしてほしいと思います。 
 そうした本人の問題とは別に、家族の悲嘆の問題もあります。本人がどんなに満足する逝き方をしても残される方は悲しいものです。残念ながらこの悲しみは避けられません。ですから、ご遺族の心を癒すためのグリーフケアも大切にしています。「心のモヤモヤが晴れない時は、ぜひうちに来て話してください」と声掛けをして、お茶を飲みながらお話を聞いたり、四十九日が過ぎた頃にこちらからご遺族にお手紙を差しあげ近況を確かめたりしています。

■大切ですよね。弊社も「ゆうゆう壱番館」を運営する中でご家族を亡くされる方がいらっしゃいますが、入館者さま同士で声を掛け合ったり、夜眠れないときはフロントスタッフとお話ししたり、そうして少しずつでも持ち直していかれます。話せる場がある、聞いてくれる人がいる、そういった存在は大きいですよね。

新田先生:うちに来ると「先生の姿を見たらあの人を思い出す」と涙ぐまれる方もいます。でも、それでいいんです。まずはしっかり悲しむことが大切です、ここで悲しまずに我慢してしまうとうつ状態にもなりかねません。後々の生活にも支障が出てきてしまいます。胸の内を誰かに話すだけでも癒えますから。それから少しずつ心が上向いていくのです。

■地域医療に尽力されている新田先生にとって北九州はどんな街ですか?

新田先生:北九州市は高齢化率が高い街でなんとなくネガティブなイメージもありますが、なんと「50歳から住みたい地方ランキング」では1位。最近は『地球の歩き方』から初の市版にも選ばれて、ひいき目抜きに面白い魅力のある街なんだと思います。これからは最期まで安心して穏やかに過ごせる街としても1位になれるように私も微力ながら貢献したいですし、若い世代に医療や看護、ケアでも働きたい街と思われるような環境づくり、施策に期待しています。

■最後に座右の銘を教えてください。

新田先生:「一期一会」という言葉を大切にしています。人との出会いももちろんですが、在宅医療はその方の人生の最終ページに関わらせていただくことが多いので「今しかないこと」がたくさんあるんです。旅行するなら今しかない、食事をおいしく食べるなら今だ、今が大切なことを伝えられるラストチャンス、そういう機を私たちが逃さずに捉え、叶えてもらいながら穏やかに過ごしていただく。そういう意味でも大切にしている言葉です。
 それから、言葉ではありませんが感謝することが私自身の支えになっています。3年前に自宅で父を看取った際、主治医の立場とともに、緩和ケアを受ける家族、見送る日を迎えて遺族になる経験をしました。ちょうどその頃コロナ禍が重なった時期で医院を存続させるため、正直心身ともに辛かったです…。しかし心折れそうになっていたところを家族や医院スタッフ、在宅医療チームの仲間たちの存在が大きな支えになってくれて、なんて有難いんだろうと大いに身に沁みました。父が最期に身をもって感謝することの大切さを教えてくれたのでしょうね。齢50になりますが、その想いを胸に今後も成長、挑戦を続けたいと思っています。

■新田先生、本日は貴重なお話をありがとうございました!

取材日:令和5年10月5日(木)

新田医院ホームページ(外部リンク)

【編集後記】

●門司で開院されて40年。新田医院の2代目院長として地域医療に取り組まれている新田智之先生は、実は濱村社長の高校の同級生です。「昔からとても優しかった」という言葉通り、お話しのすべてが“人に寄り添うこと”と共にある素敵な先生でした。

●医師を目指したきっかけは小学1年生の頃。ご祖母様がガンを患われ、ガンを治せる、苦しみを取り除く医者になりたいと思われたそう。大学卒業後、消化器外科の勤務医として治療を行う中で「患者さんを救うのは積極的な治療だけだろうか。それぞれの人にとっての苦しみをやわらげる医療を知りたい」と40歳で緩和ケア医に転身。数年の経験を積んで門司に戻り、ご実家の新田医院で在宅医療を立ち上げました。「子どもの頃は緩和ケアという言葉は知りませんでしたが、苦しみが減ったらいいのにというあの頃の想いが私の原点です」

●本文に入りきれませんでしたが、看取りに関わる啓蒙活動にも尽力されています。「最期は病院」が浸透している北九州では高齢者施設の職員や、家族であっても看取りに苦手意識を持つ人が多いとか。この苦手意識を“関わる自信”に変える取り組みを行っている「エンドオブライフ・ケア協会(ELC)」の北九州グループで新田先生は学習会を開いておられます。ではここで質問。目の前にいる人に「死にたい」と言われたらどんな言葉を返しますか?

●反射的に「そんなこと言わないで」と言いたくなりませんか。新田先生に同じ質問をすると「私ならまずは“そう思うくらいにつらいんですね”と返します」。自分の意見や説得ではなく、相手の気持ちに寄り添うと「そうなんです…実は…」と胸の内の苦しみを少しずつ話し始める方が多いからなのだとか。そもそも苦しみは希望と現実の開きから起こるもの。「この人の希望はこう、でも現実はこう。だから苦しいんだな、と俯瞰でキャッチする感性が大切なんです。ELCでもそこに着目して学びを重ねています」。

●地域の頼れるかかりつけ医であり、人生の最後を自宅で過ごしたいという希望を託せる在宅医療の医師でもある新田先生。精力的な取り組みはもちろん、寛大なお人柄に接して(こんなお医者さんが近所にいたらいいのにな…)と門司にお住まいの方がうらやましくなりました。新田先生、お忙しい中お時間を頂戴しましてありがとうございました!