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第48回 地域密着!トップインタビュー/劇団青春座 代表 和田正人様
昭和20年10月、終戦わずか2カ月の北九州で立ち上がり、今年創立80周年を迎えた『劇団青春座』。演劇を通じて地元文化の灯を守り、今なお年2回の公演を重ね続けています。青春座のモットーは「団員は良き社会人たれ」。公演ごとに劇団員を募り、これまで舞台に立った市民は累計2,000人以上!11月に記念公演を控える和田正人代表にお話を伺いました。
終戦直後の創立から80周年
青春座『無法松の一生』が令和の小倉で再び。
■劇団の創立が昭和20年(1945)10月と伺って改めて驚きました。終戦から本当に間もない時期の立ち上げだったのですね。
和田氏:「よくそういう感覚になったなぁ」と思いますよね(笑)。ただ、実際やっているんですよ。
初代代表は鶴岡高(つるおか・たかし)さんという人物で、立ち上げ時のことを「青春座創立てんまつ記」という文章に残しています。それによると、創立メンバーは鶴岡さんを含め、八幡で活動していた詩人グループだったようです。まずは詩の同人誌を創刊して、その準備が一段落すると「すべきことは他にもあるはず」と奮起して、劇団はどうだ、芝居をやろうと。すぐに団員募集に駆け回って、男女22人の最初の劇団員が結束を誓ったのが10月下旬。11月末には、戦火を免れた大谷会館(八幡東区/令和3年閉業)の大広間で朗読劇のようなものを上演しているんです。
■興味深いです。当時は官営八幡製鐵所に全国からいろんな方々が来られていて、北九州は文芸文化も発展していたと聞きます。
和田氏:盛んだったのでしょうね。劇団名の『青春座』も作家の太宰治に由来しているんですよ。詩の同人誌を創刊したことを太宰に報告すると、本人から返信があったようで。その手紙にあった「侘しいときには毛布をかむって勉強するのだ。それがいちばん華やかな青春だ」という一文から『青春座』と名付けたそうです。
昭和25年(1950)頃には八幡製鐵所をはじめ、旭硝子、NHK小倉放送、門司鉄道管理局などの職場劇団や、北九州大学、九州工業大学の演劇部が次々に立ち上がっています。横のつながりもあったようで、5市合併をきっかけに企業や大学などの10以上の地元劇団と合同公演も実現しています。
■当時の劇団代表はどなたでしょうか。
和田氏:合同公演を仕掛けたのは2代目の井生猛志(いおう・たけし)です。その後、昭和49年(1974)に猛志の弟・定巳(さだみ)が3代目になりました。実は、この兄弟の間に私の母がいます。そんな縁もあって私も幼い頃から劇団に馴染みはありましたが、舞台に立つことはありませんでした。
■和田代表が貴団に参加するきっかけは何だったのですか。
和田氏:ある公演で3歳くらいの子役が必要で、私の長男がちょうど役の年齢にピッタリだったんです。それで定巳から「お前の子どもを子役に使いたい。子どもが舞台に上がる前に、親が先に経験しとけ」と言われまして。おるもんは誰でも使え、という感じですね(笑)。当時、私は定巳と同じ会社に勤めていたのですが、外回りから帰ってきたら机の上にもう台本が置かれていました。
■今、「同じ会社に勤めていた」というお話が出ましたが、貴団は社会の中で生活を送りながら舞台に立つ「アマチュア劇団」を掲げておられます。活動を長く続けられる秘訣はそのあたりにもあるのでしょうか。
和田氏:大体の物事はお金の問題で立ち行かなくなるという考えもあったのでしょうね。私が入った頃には、すでに「青春座の団員になるなら働いてないとつまらん」と言われていました。うちはアマチュア劇団ですから出演料は誰にも出ません。その代わり会費の徴収もありませんし、芝居に関わることで個人的な負担はさせません。衣装や小道具、舞台装置を作るから一人いくらずつ出して、というのはないんです。ただ、公演のチケットは全員で売ります。縁のある方に声をかけてチケットを買ってもらう、見に来てもらう努力を一人ひとりがしましょう、と。それが続いている根っこなのだと思います。
■公演ごとに団員募集をかける市民参加型の運営もユニークですよね。お芝居の経験が全くない人も舞台に立てるのでしょうか。
和田氏:もちろんです。うちは基本的に経験がないところから始める人ばかりですし、役者は誰にでもできる、というのが私の考えです。引っ込み思案でも関係ない。「役」を与えられるので、素の自分で人前に立つわけではありませんから。逆にいうと、普段の自分を演じるのがいちばん難しいです。だから、自分とはかけ離れた悪役なんかの方がやりやすいし、私もそういう役が大好き。去年は春秋2公演とも殺される役をやりました(笑)。
もちろん、本番まで3~4カ月かけて皆で稽古をしますので、うちの舞台はどなたでも挑戦できます。劇団員は公演ごとに流動的ですが、今は裏方も含めて50~60人くらい。現在は最年少が5才で最年長は80才、アラ還世代が多いですが、高校生もいますし若い世代も結構参加してくれています。
■次回11月公演は、創立80周年記念公演として『無法松の一生』を上演予定と伺いました。同作は明治・大正時代の小倉を舞台に、豪快で人情に厚い主人公・松五郎の切なくも誠実な人生を描いた物語です。記念公演に同作を選ばれた理由からお聞かせください。
和田氏:『無法松の一生』は青春座にとって特別な作品です。立ち上げの初期から上演しており、古いところでは昭和22年5月付のGHQの検閲印が押された手書きの脚本が残っているほどです。ここ数年の流れとして過去作のリバイバル上演も好評でしたし、内輪の話でいえば今年は2代目代表の三回忌にあたります。青春座の転換期を支えた2代目はある意味、主人公の松五郎のような生き方をしてきた人ですし「無法松をやるなら80周年公演しかない」と早くから決めていました。それが、この5月に3代目代表まで他界してしまって……。
■定巳代表とは「東アジア文化都市北九州実行委員会」にてご一緒させていただいて、突然の訃報に私も驚きました。
和田氏:定巳が率いた頃の、青春座で初めての東京公演や、中国・大連での海外公演も『無法松…』でした。まさに、青春座がここぞというときに上演してきた作品です。
今回の記念公演は新たな挑戦もあります。これまでは初代が書いた脚本に都度手を加えながらやってきましたが、今回は北九州市出身の葉月けめこさんに新たな脚本を書き下ろしてもらいました。『無法松…』の主な登場人物は、人力車夫の松五郎、松五郎の亡き友人の妻・良子、その息子の敏雄です。旧脚本では敏雄は子ども時代のみでしたが、今作では敏雄が小倉中学(現:小倉高校)の学生まで成長します。より原作小説に近い展開になるわけです。
■見どころは特にどんなシーンでしょうか。
和田氏:まずは幕開きですね。芝居はやはり幕が上がった最初だと思うんです。今作は、ある木賃宿(安宿)の場面から始まります。イメージでいうと、人々が行き交い、陽気に談笑し、気のいい女将にひと声かける人がいて――そんな明治期の日常的な活気の中に松五郎が登場する。そういう賑やかな幕開きで会場を一気に『無法松…』の物語へ引き込みたいと考えています。ほかにも、一幕終わりの敏雄の歌やラストシーンも過去作とは違った余韻になっていますのでご期待ください。
■今作は総勢何人が舞台に立つのですか?
和田氏:今のところ42人の役者が登場する予定です。そのうち12人が今回新たに加わったメンバーで、敏雄役も青春座では今作が初舞台になります。主役の松五郎は私が演じます。今回の脚本では松五郎と良子の恋模様も描かれていまして……去年は殺される役ばかりだった私ですが、〈男・松五郎〉の一面もぜひご注目いただければと思います(笑)
■楽しみです(笑)。最後に、和田代表が大切にしている言葉をお聞かせください。
和田氏:肝に銘じているのは「礼を失するな」です。中学、高校時代に叔父からよく言われていた言葉ですが、最初は意味が分かりませんでした。今は自分なりに「人に恩着せがましく押し付けるな」と解釈しています。皆のために動いているとしても、それは自分が好きで勝手にしていることなんですよね。「やってあげている」という傲慢さがあると人は離れてしまう。特に若い世代とは物事の根本的な捉え方も違うので、言葉や伝え方に気をつけるようになりました。劇団員同士のやりとりを見ていると、若い子は若い子で気を遣っていると思いますが、やはり年配者が優しく声をかけて配慮しているんですよ。いちばん気遣いが足りていないのはオレか、と。いつも自分を戒めております(笑)
■和田代表、本日は楽しいお話をありがとうございました!
取材日:令和7年8月1日(金)
【編集後記】
●終戦直後の旗揚げから80周年を迎えた『劇団青春座』。現在も活動中の市民劇団としては日本屈指の歴史を誇ります。資料によると、創立メンバーで初代代表の鶴岡高(つるおか・たかし)氏は、戦時中、福岡市にあった西部軍報道部でラジオ芝居の朗読を担当していたそう。この報道部には『花と竜』の火野葦平をはじめ、名を知られた作家や劇作家がおり、そうした経験も青春座立ち上げの原動力だったのかもしれません。
●戦後の北九州ではたくさんの劇団が立ち上がりました。しかし、その多くが昭和50年代頃までに解散。厳しい運営状況は青春座も例外ではなく、劇団員がひとケタ、集客に苦戦する時代もあったとか。そうした中、井生猛志代表が考案した施策の一つが「市民参加型」公演でした。青年会議所やロータリークラブ、市役所、地域の子ども会などに舞台出演をはたらきかけ、「役者」と「観客」を同時に勧誘する方法を模索。累計2,000人以上が舞台に立つアマチュア劇団・青春座はこうして北九州の演劇の灯を守り続けてきました。
●当時について「職場の同僚が全員で舞台に上がるなんて、今の時代では考えられませんよね(笑)」と和田代表。もちろん今は一般公募や紹介で団員を募っています。稽古は全員が参加しやすいよう週3回、平日の19時~21時と決まっているそう。皆さん仕事や学校、家の用事を済ませて、しばし役者の顔に切り替わっているんですね。
●演技の稽古とは別に、最近始めたというのが「役の履歴書」です。自分が演じる役の生い立ちや周りの役との関わりなどを、演じる本人が考え、シーンごとの役者で集まってディスカッションするのだとか。「役の理解だけでなく、役者同士が対話するきっかけにもなっているようです」と和田代表。
●実は、和田代表の妹さんと濱村社長は高校時代の同級生。偶然にも、『無法松の一生』に登場する敏雄が通う小倉高校(旧小倉中学)の同窓です。学生当時に和田代表とは面識がありませんでしたが、代表の気さくなお人柄も相まって終始楽しいインタビューとなりました。青春座80年間の貴重な資料もたくさんご持参いただき、その中には本文に出てくるGHQ検閲印が押された『無法松…』の初代脚本も! 時代を超えて観客を魅了し続ける劇団青春座の『無法松の一生』。80周年記念公演の仕上がりが楽しみです!!
和田代表、お忙しい中貴重なお時間をいただきましてありがとうございました!
創立80周年記念公演『無法松の一生』
日にち:11月22日(土)・23日(日)
場 所:北九州芸術劇場
※詳細・チケット情報は『劇団青春座』公式ホームページからご確認いただけます。
https://www.seishunza.com/
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